- 会社名
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株式会社JYU-KEN
- 業種
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一般建設業、不動産仲介業、不動産管理業、飲食事業、ヘルスケア事業、コンサルティング事業、スポーツ事業、介護事業 他
- M&Aで達成した内容
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ヘルスケア事業(通販オリジナルブランド「Muku」)の事業譲渡
- M&Aアドバイザー
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前田 泰一
事業を拡大するなかで、成長の壁を感じる。
住建情報センターという社名だけ見ると、不動産取引を中心とした住まいや暮らしに関わる事業を行っている会社のように思える。もちろん祖業は不動産仲介業なのだが、同社ではそのほかに、一般建設業や不動産管理業、飲食事業、ヘルスケア事業、コンサルティング事業、さらにはスポーツ事業、介護事業など、さまざまな事業を展開している。そしてその多角化は、創業者であり代表取締役の小泉秀昭氏の魅力あふれる人間性と、稀有な巡り合わせによるところが大きい。
小泉氏は以前、住宅展示場に出展するハウスメーカーの営業マンだった。管理職も務め、20年近く在籍していたが、東日本大震災を契機に自身の働き方や生き方を見つめ直し、独立開業を決意する。建設業を続けるつもりはなかった。前職では常にノルマに追われ、肉体的にも精神的にも疲弊していた。そこで選んだのが、周辺産業の不動産仲介業である。
ある日、シックハウス症候群に悩む顧客が、建築用の土地を求めて来店した。シックハウス症候群とは、建材や内装材に含まれる有害な化学物質によって引き起こされる頭痛やめまいなどの症状だ。新築の家では特に症状が出やすいため、その顧客はこれまで中古のアパートやマンションばかりを移り住んでいるという。「次はぜひ新築の家に住みたいと思っているんです。私たちが住める家ってないですか?」そんな切実な願いに突き動かされ、小泉氏は土地探しとあわせ、健康住宅や自然素材の家を謳う全国各地の建設会社・工務店に協力を要請することにした。そこで出会ったのが、兵庫県に本社を置く株式会社無添加住宅である。
新居では一切症状が出ず、その顧客には大満足してもらえた。そして、偶然にも同様の依頼が続き、いずれも成約に至った点が評価され、無添加住宅側から正規代理店にならないかという打診があった。一度は固辞するものの、もともと小泉氏自身が喘息持ちだったこともあり、「君みたいな人こそがこの事業をやるべきだ」と、先方の創業者兼会長に強く説得され、結局は引き受ける形となる。
また、飲食店事業を始めたのは、都内で焼肉店の開業を計画する顧客の店舗探しや出店準備を支援したところ、手際のよさが認められ、横浜市内にオープンする2店舗目のスポンサーになったのがきっかけだ。以降も住建情報センターは、順調に事業を拡大していく。しかし、その一方で小泉氏は、成長の壁を感じ始めていた。
会社を売るつもりはないが、事業の切り売りなら考えてもいい。
不動産や住宅は高額なため、景気の波に左右されやすく、関連法規の改正や天候不順による工期の遅れなど、不確定要素も多い。そこで小泉氏は、飲食事業のように長期にわたって安定した収益をもたらし、会社の経営基盤を支える新たな事業を模索していた。2015年に通販事業部(のちのヘルスケア事業部)を新設し、通販オリジナルブランド「Muku」を立ち上げたのには、そのような思惑がある。
焼肉店で取り扱う肉の通販も検討したが、ライバル企業が多く、結局見送りに。自社の技術やサービスの棚卸しを行った結果、無添加住宅の建築・販売を通して培ったノウハウを活かし、アレルギー性皮膚炎や皮膚疾患で悩む人に向けた完全無添加の美容液を開発することになった。
自社で行うのは製品コンセプトの立案までで、実際の開発・製造はアウトソーシングである。しかし、まったくのゼロからのブランド立ち上げとなり、当初は苦労も多かった。一日の新規注文は1件あればいいほう。発注の通知が来るように設定された小泉氏のタブレット端末は、長い間鳴りを潜めていた。
肌に悩みを抱える人は、さまざまな美容液を試し、その度に失望を繰り返している。無添加住宅から着想を得た、体に悪いものを一切使わない製品には、絶対的な自信があった。3年ほど経過してようやく事業が軌道に乗り始め、リピーターも確実に存在することがわかった。ここが勝負のタイミングだと感じた小泉氏は、一気に広告予算を一桁増やす。それが奏功し、一日の新規注文が30〜40件にまで跳ね上がり、月間1,000本を超える売上を記録するようになった。
そんな折、小泉氏宛に前田泰一から連絡が入る。当初は、関西のある企業が住建情報センターを買収先として検討している、という話だった。小泉氏としては会社を売り渡す考えはまったくなかったため断ったが、「現在の会社の市場価値を測ってみませんか?」との提案には興味を惹かれ、面談することになる。
同社の市場価値は、思いのほか高かった。会社そのものを売るつもりはない。ただ、評価してくれる会社があるのならば、事業の切り売りは考えてもいいかもしれない。そのときに小泉氏の頭の中にあったのは、安定的な収益を生み出していたヘルスケア事業だ。確かに売上は順調に伸びている。しかし、さらに販路を広げて全国に「Muku」ブランドを浸透させるには、現状の会社規模や資本力では荷が勝ちすぎている気がした。その成長の壁を打破するため、小泉氏はM&Aについて真剣に検討するようになる。
常に顧客に寄り添い、揺るぎない信念を持つ。
小泉氏から前田に対する要望は、大きくふたつあった。まずひとつに、あらかじめ設定した最低ラインをクリアしたうえで、もっとも高い譲受希望価額を提示する会社。もうひとつが、「Muku」ブランドの製品コンセプトに共感したうえで販売してくれること、である。大切に育ててきたブランドが廃れてしまってはいけない。愛用してくれている顧客を裏切るようなことがあってはならない。その思いから、M&A取引においては少し厳しい条件が譲渡企業側から提示された。
複数の事業に目を配る必要がある小泉氏は多忙のため、前田はとにかくレスポンスを早くし、効率よく提案を行う必要があった。そして、20社以上の候補の中から、事前交渉をしっかり行ったうえで、イワキ株式会社を紹介することになった。
アステナグループの一員であるイワキは、一般用医薬品や化粧品、食品材料の販売、医療機器の製造販売を行う会社である。最終製品だけではなく原材料も取り扱っている点から、「Muku」ブランドとのシナジー効果が期待できた。社員数150名、資本金3億円と、懸念事項だった会社規模や資本力も申し分ない。入念な下準備のおかげで交渉は滞りなく、前田との初面談から2ヶ月後には事業譲渡契約が成立する運びとなった。
住建情報センターが担っていたのは、製品コンセプトの立案までだ。そのため製造や物流に関しては、外注先との取引条件がそのままイワキに引き継がれる旨の条項が契約書に盛り込まれた。広告運用およびコールセンターの運営に関しては、数ヶ月から一年にわたって住建情報センターがサポートに入ることになる。
小泉氏は今回のM&Aを振り返って、「流れに身を任せていたら、いつの間にかこうなった」と語る。もちろん運や縁の要素は、多少は含まれるはずだ。しかし、小泉氏に運や縁を引き寄せる力があり、また、常に顧客に寄り添い信念を貫いていたからこそ、このように理想的な形のM&Aが成就したのではないだろうか。そう感じずにはいられない。